セカイチ塾 エピソード1
こんにちは、セカイチ塾のKEITAです。セカイチ塾創設の経緯について、私自身の「セブ留学」や「世界一周」経験を交えながらお話させていただきます。思った以上に長くなってしまいましたが、お時間のある方はお付き合いいただけると幸いです。
中途半端な人生にケジメをつけるための「挑戦」として
大学卒業後、地元の公立小学校で教師をやっていた私は、多忙ながらも充実感のある生活を送っていました。けれども、何かモヤモヤとした「違和感」が常に自分の中にありました。学校の教育現場で感じた違和感でもあったし、自分の生き方そのものに対しての違和感でもあったと思います。
教師になるのは、自分自身が小学生だった頃からの夢でした。自分が担任していたクラスの子ども達は全員が可愛かったし、我ながら学級経営も上手くいっていたと自負しています。よくある保護者からのクレームとかも特にありませんでした。けれども、一日の授業が終わり職員室へ戻る度に、いつも違和感を感じていました。いわゆるベテラン教師でも、勤続年数が長くなるほど失われていく何かに気がついてしまったり、教師になるためだけの勉強をしてきた他の新任教師とのギャップを感じたり、保護者や周辺地域の顔色を気にしながら守りの姿勢を貫く管理職を目の当たりにしたり、、そんな教育現場に対し、次第に窮屈さを感じるようになりました。そしてそれは、例えば学級担任→教務主任→教頭→校長のように、まるでレールを辿る人生のように見え透いた未来が垣間見えるようになると、居ても立っても居られない焦りへと変わっていきました。
たぶん、変わっていたのは周りではなく、私の方だったのだと思います。けれども、それを修正してしまうのは、自分が違和感を感じている現場に染まってしまうことに他ならない。どうせ変わり者ならば、究極の変わり者になってやろう。自分を抑えながら中途半端に留まるくらいなら、一旦、教師人生のレールを外れる選択をしよう。今後どうなるか分からないけど、ケジメを付けるなら今しかない、、!そう決意し、来年度の意向調査という書類で「退職」の意を表明しました。
次は何をしようか。自分の人生を納得させるためにも、自分が何者であるかを明確にするためにも、何かインパクトのあることをしよう。そう考え、ネットサーフィンをしながら閃いたのが「世界一周」でした。今となっては大分ハードルの低くなった世界一周ですが、当時の私にとっては、かなりぶっ飛んだ「挑戦」に思えました。
次の行き先は、世界。豪華客船で周れるプランもあるけど、そもそもレールを辿るだけの人生に違和感を感じていたわけだから、バックパッカーとして自分で道を切り開こう。せっかくの機会だし、インドとかアフリカにも挑戦してみよう、、!ここから人生が大きく変わり始めました。
英語でのコミュニケーションは、純粋に楽しい!
バックパッカーでの世界一周を宣言し、もう後戻りできない状況まで自分を追い込みました。けれども、正直、楽しみよりは不安が勝っていました。むしろ、不安しかなかったかもしれません。英語は大の苦手、旅中に何か事件に巻き込まれるかもしれない、大怪我をするかも、そもそもバックパッカーのやり方が分からない。。
こんな状況だったので、まずは不安を少しでも減らす努力から始めました。3月末で退職するまでの期間に、世界遺産検定を受けて知識を増やしてみたり、世界一周経験者の集いに参加してみたり、バックパッカー関係の本を読み漁ってみたり、、。そんな過程で、「フィリピン留学」との運命的な出会いがありました。
月20万円以下で、一日7~8時間のマンツーマンレッスンを受けられる!これだけ集中してやれれば英語に対する苦手意識はなくなりそうだし、語学力の壁を突破できれば、世界一周に対する不安もだいぶ軽減できるのではないか。世界一周もまずはアジアから始めるつもりだったし、フィリピンを1カ国目に設定し、英語を勉強してからでも有りではないか。こうして、フィリピン・セブ島での語学留学が始まりました。
留学初日。同時に世界一周1日目でもありましたが、ドキドキの状態で飛び込んでみた最初の印象は「楽しい!」でした。当時のフィリピン留学といえば、学生の大多数は韓国人で、ルームメイトは韓国人のオジさんでした。彼とキャンパス内のプールへ泳ぎに行ったのをきっかけに、水泳を通して韓国人友達の輪が広がり、後々はみんなで小旅行に行ったり、ダイビングのライセンスを取りに行ったり、レストランやバー・クラブに出かける仲良しグループになりました。
おそらく、留学前に実戦で英語を喋ったことは皆無に等しかったと思います。そんな留学初期で印象に残っているのは、タクシーでレストランへ向かう途中、隣に座った韓国の女の子と話したこと。お互いかなり拙い英語で話していましたが、私が日本人と分かると漫画やアニメの話で盛り上がり、内容は知識の確認作業でしかなかったにしろ、外国人と英語でコミュニケーションすることの楽しさと感動を覚えました。これをきっかけに、何となく国籍の壁があったお互いの距離もグッと縮まりました。
余談ですが、コミュニケーションは生物として本能的に持っている基本的欲求かつ五感を伴う活動で、いくら技術が進歩しようと、人間から奪うことのできない根本的なものであると感じました。英語に対する苦手意識がなくなると、まるで言葉を覚えたばかりの赤ん坊のように、「もっと喋りたい」という欲求が溢れ出てくるのです。また、その人の声質やトーン、口癖や表情などからも性格はよく伝わってくるし、外国人同士でも違うのは国籍と母国語くらいのもので、同じ人間同士であることには変わりないという事実も再確認しました。
セブ島では4週間留学しましたが、フィリピン人講師とのマンツーマン授業やグループ授業を毎日7時間こなし、寮やキャンパス内ではアジア各国からの留学生と交流することにより、英語で話す楽しさと伝わる実感を重ね、徐々に苦手意識を克服することができました。
セブ留学で身につけたスキルと経験が、行動力を加速させた
セブ留学の卒業後は、直接タイ・バンコクまで飛び、そこから地球を西側へ旅していきました。ざっくりと、東南アジア→インド→西欧→東欧→中東→アフリカ縦断→中米→スペイン語留学→南米→パタゴニア往復→イースター島→オーストラリア→帰国という感じで、約1年間、35ヵ国を放浪しました。
教師をやっていた頃の自分からは考えられない行動力ですが、それを後押ししたのは勇気とか勢いとかではなく、世界一周という舞台が、英会話力という実戦から学んだスキルや、フィリピンという途上国社会での生活経験などの延長線上にあった、単純にそういうことだったのだと思います。例えば、それはレールが敷いてある線路ではないしどこに辿り着くかも分からない道だけれども、確かなツールを得た上で、更なる一歩を着実に重ねていく旅でした。
英語力一つ身につけるだけでも、そのスキルが次のステージを切り開きます。そして、日本人の多くが苦手意識を持つ英語は、実は日本人に最も向いている言語の一つで、その証拠に義務教育で最低3年間は勉強していることに加え、カタカナ語を使えば大抵の物は表現できてしまいます(この辺りは後にスペイン語留学をした際に強く感じました)。また、語学力の習得は遺伝とは無関係である数少ない能力の一つである、という研究もあります。
つまり、英語は誰でも習得可能な手頃なスキルの一つであり、例えばセブ留学のように体験を伴う行動が経験を蓄積することで、無限連鎖のように次の一歩を踏み出す原動力となるのです。
世界に「1」を繋げていくために
世界一周帰国後は、もう一度フィリピン・セブ島へ戻り、語学学校のスタッフとして働きながら、セカイチ塾の原型となる個人ブログを始めました(フィリピン留学 セブイチ ~セブ留学調査隊)。後にセブ都心部のコンドミニアムを借り、日本人移住者のコミュニティも多い中、海外に出てまで日本人同士連むことに違和感を覚え、なるべく現地人と共に過ごすことを意識しながら、約1年間フィリピンで生活しました。
当初は小学校教師として日本の教育現場へ復帰することも考えましたが、世界を舞台に歩みを重ねていく中で視野が広がり、「教育」には今後も関わっていくものの、学校教育という限定分野に的を絞らなくても良いのではないか、と考えるようになりました。具体的には、「英語教育」や「キャリア教育」、学生時代に専攻していた「開発教育」といったフィールドでやっていこうと思いました。
理想主義者であるよりは、現実主義者であるべき。正直、違和感を感じてしまうミッションを掲げている組織・団体は多いけれども、私と同じような方法で未来を切り開きたい、という同士には全力で協力したいのが本音です。皆さん一人一人の、大きな一歩を後押しし、今後世界で活躍する一員をサポートしたい。こんな「1」だらけの思いをセカイチ塾の「1」に乗せ、「世界No.1」というよりは「世界Only.1」みたいな立ち位置を見極めつつ、皆さんの「1」を繋げていけたらという思いで、セカイチ塾を設立しました。
グローバル社会、人生100年時代。目まぐるしく変化し、多様な価値観が混在する社会において生き残るためには、確かなスキルと経験に基づき、幅広い視野を持って柔軟に対応していくことが大切だと考えています。未来を生きる同士が集まる場として作ったセカイチ塾が、少しでも皆さんのお力になれるよう、私自身も歩み続けていきます。
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